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東京地方裁判所 昭和41年(手ワ)607号 判決 1968年5月10日

原告 池田宇善

右訴訟代理人弁護士 景山収

被告 野原桂造

右訴訟代理人弁護士 三谷穣

同 伴廉三郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告は「被告は原告に対し金三七五万円およびこれに対する昭和四一年三月二日以降右完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。

被告は原告に対し金額金三七五万円、満期昭和三八年六月三〇日・支払地および振出地東京都千代田区・支払場所東京都千代田区九段一丁目一六番地徳海屋アパート自宅・振出日昭和三七年九月一四日なる約束手形を振出し交付し、原告はこれが所持人である。原告は満期に右手形を支払場所に呈示して支払を求めたが拒絶せられた。よって右手形金およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降右完済までの法定利率による遅延損害金の支払を求める。

二、被告は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中被告が原告主張の約束手形を振出し、原告に交付し原告がこれを所持する事実は認める(尤も振出日および満期は白地であった)もその余の事実は否認すると述べ、次のとおり抗弁した。

(一)  本件手形振出の事情は次のとおりである。即ち

被告の妻である訴外野原タツは原告を相手方として昭和三四年三月一二日東京地方裁判所に対し宅地建物移転登記請求の訴を提起し、右は同庁昭和三九年(ワ)第一九三〇号事件として係属したが、昭和三六年六月二〇日原告に対する破産宣告があり、右訴訟は破産管財人定塚道雄においてこれを受継した。しかして、右訴外野原タツは右訴訟事件につき勝訴の第一審判決を得たのであるが、右破産管財人およびその補助参加人訴外長谷川初次郎こと李幸九から控訴申立があり東京高等裁判所に同庁昭和三七年(ネ)第四五〇号事件として引続き係属した。ところで、当時被告および訴外タツは右訴訟を永きにわたって進行することは家庭の事情から困難となり苦慮していた。しかるところ、被告らに対し原告から右訴訟事件の示談解決の申入れがあり、被告らが原告に対し金六五七万円、李に対し金一、〇〇〇万円を支払うことにより右訴訟事件の一切を解決するというのがその示談案であった。被告らは右案によって一切が解決されるものと信じ同年四月一二日頃これを承諾し、同年五月初旬頃原告に対し右示談金のうち金一五〇万円同年九月初旬頃同じく金一五〇万円を支払い残金三七五万円支払のために本件約束手形を振出し交付した。

しかしながら、原告は破産者であり、前記訴訟事件については訴訟行為その他何らの管理処分権を有するものではないから右訴訟事件について示談をする権限なく、右示談は無効のものである。しかるに、原告は被告らをして原告が右の如き示談をなし得るものと誤信させ右無効な示談行為に基き本件手形を振出し交付させたものであるから、本件手形振出は無効である。

(二)  仮りに右手形振出は無効とはいえないとしても、被告は右のとおり、有効に示談による解決をなし得るものとして示談金支払のためになしたものであるところ、右のとおり解決することはできないのであるから、その点において錯誤があり、右は要素の錯誤に該当するから右示談金支払の合意は無効である。従って、本件手形振出はその原因関係において無効であり、被告は原告に対し本件手形金支払の義務を負わない。

(三)  次に以上理由なしとするも、本件手形は振出日および満期を白地として振出されたものであるところ、前述のとおり、右訴訟事件を一切終了させたときに被告が原告に対し示談金を支払うものとされていたのであるから、満期は右訴訟事件終了の日をもって補充されるべきものとして振出されたものである。しかして右訴訟事件は昭和三八年二月一八日訴訟上の和解成立により第一審判決確定し訴外野原タツは破産管財人に対し示談金として金三〇〇万円李に対し金一〇〇〇万円を支払い控訴取下をすることとして解決したのであるから右同日をもって満期として補充されるべきところ、昭和三八年六月三〇日補充されたのであるから右は補充権の乱用であり、本件手形は無効である。

(四)  仮りに以上すべて理由なきものとしても、右訴訟事件の第一審判決確定により被告が所有権取得登記を得るに至った目的物件には別表のとおり原告の延滞税金のために差押がなされており、被告は別表のとおりこれを立替支払い、これによって、合計金四、一三五、九六七円の立替金債権を有するからこれをもって本件手形金と対等額において相殺する。

三、原告は被告の抗弁について次のとおり答弁した。

仮りに原告において破産手続中に破産財団に属する財産について示談したからといってもそれは絶対無効ではなく単に破産債権者に対抗することができないだけであり、原告に対する破産宣告は現在その取消決定が確定している以上右示談は有効であり完全に効力を生ずるに至っているものである。

また、野原タツと破産管財人との間になされた和解契約によれば被告主張の訴訟事件において目的となった不動産を訴外熊谷興業株式会社に対し右不動産上に存する一切の負担を野原タツにおいて解決することを条件としてなされたものであるから原告は立替金債務を負担しない。

四、立証≪省略≫

理由

原告が原告主張の本件約束手形を所持している事実は当事者間に争いないので被告の抗弁について判断する。

被告は、本件手形は、原告が破産宣告を受け、右破産手続中原告の破産管財人と被告の妻野原タツ間に係属していた訴訟事件解決のために原告と右タツ及び被告間になされた示談契約に基き振出されたものであるところ、破産者たる原告のなした右契約は無効であるから、右契約に基く本件手形の振出も無効であるという。しかしながら、手形振出の原因となった契約が無効であるとしてもこれに基く手形振出行為の無効を来すものでなく、このことは、破産者が破産財団を構成する財産に関する訴訟事件の示談契約をした場合であっても、同様に解するのが相当であるから被告の右抗弁は主張自体理由なく採用の限りではない。

被告は次に本件手形振出の原因が錯誤に基く無効であることを理由として原告に対する支払義務はないという。そこで本件手形振出の前後の事情を検討する。

≪証拠省略≫を綜合すれば、

被告の妻である訴外野原タツは昭和三四年中原告ほか数名を相手方として、原告に対しては東京都新宿区神楽坂二丁目一〇番の一宅地一二八坪四合六勺のほか数筆の宅地および建物の所有権移転登記手続を求めて東京地方裁判所に訴を提起し同庁昭和三四年(ワ)第一九〇三号宅地建物所有権移転登記手続等請求事件として訴訟係属したところ、右訴訟係属中原告は昭和三六年六月二〇日破産宣告を受け弁護士定塚道雄がその破産管財人となり訴訟手続を受継し、昭和三七年二月右タツ勝訴の第一審判決言渡があったのであるが、右破産管財人およびその補助参加人であった訴外長谷川初次郎こと李幸九の控訴申立により、右事件は東京高等裁判所昭和三七年(ネ)第四五〇号事件として係属した。しかるところ、原告は訴外沖山貞雄を介して被告および訴外タツに対し示談を申入れ、被告らが示談金を出すならば原告の責任において控訴取下により訴訟事件の一切を解決するということであった。被告らとしても、右訴訟の解決が長びくよりは、示談金を出しても早く解決した方がよいと考え、原告との間に示談が成立しさえすれば、第一審判決が確定し訴訟事件の一切が解決することができるものと信じ、その申入れに応じて昭和三七年春原告および訴外沖山らと会談し折衝した。その結果、原告は前記訴外李に対し前記土地を売却することにしていた関係もあるので原告が被告から金一千万円の提供を受けこれを右李に支払って控訴を取下げさせることとし一方原告も金に困っていたので原告に対しても金六七五万円を示談金として支払い原告が控訴を取下ることになった。そして被告は原告に対しその頃内金として原告に支払うべき分の内金一五〇万円を支払い残金は訴訟解決の後に支払うという約束であった。ところが、原告の要求により、一ヶ月後に残金の内金一五〇万円を事件解決前ではあるが支払い残金一五〇万円については約束手形を振出交付することとした。そして、右約束手形の支払は訴訟事件解決の後とし、その時期をもって満期の記載を補充することとし、振出日とともにこれを白地とし支払場所を記載しない約束手形を原告に対し振出交付した。右約束手形が本件手形である。しかしながら、原告は前述のとおり破産者であり、破産管財人の関与なくしては右係争物件に関し示談し控訴取下をなすなどということはできないに拘らず、破産管財人が右示談に関与しなかったのみならず、破産管財人にはこれを秘して示談を成立させるべくその諒解すら得なかったので、示談どおりに控訴の取下をするに至らず時日を経過した。その間被告の訴訟代理人三谷と右破産管財人との間に示談が進行し、被告らから金三〇〇万円を破産管財人に支払うことにより破産管財人は控訴取下をなし昭和三八年二月一八日に至って前記李ら関係当事者間に裁判上の和解成立することにより漸く右第一審判決が確定し右訴訟事件の全面的解決をみるに至った。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

甲第三号証中に但書として本件約束手形は原告の更生資金として贈与するものである旨の記載があり、右は訴訟事件解決とは関連ないものということもいえる趣旨であるが、右記載は前記のとおり被告の諒解なしに原告が記載したものであり、証人沖山貞雄の証言により成立の認められる甲第四号証も本件約束手形等を原告において騙取したものでないことを示すにとどまり訴訟事件解決のための示談として交付されたものでないという趣旨のものでなく、甲第六号証も被告の与り知らぬものであること証人沖山貞雄の証言により認められ、いずれも前認定を左右する証拠とすることはできず、その余の甲号各証証人定塚道雄同定塚脩の各証言は前認定を左右するものではない。

しからば、本件約束手形の振出は、被告らと原告との示談さえ成立すれば、前記訴訟事件は野原タツ勝訴の第一審判決確定し一切解決するものとの前提で成立した示談契約に基き被告の支払うべき示談金支払のためになされたものというべきところ原告との示談をもっては足らず、破産管財人の関与なくしては訴訟事件の解決とはならないに拘らずこのことを全く予定しなかったものとみるべきであるから、要素の錯誤ある場合に該るものというべく、従って右示談契約は無効というべきである。よって、本件手形は振出の原因を欠き被告は原告に対し本件手形金の支払義務はないとしなければならない。

よって、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由なく失当として棄却すべく、民事訴訟法第八九条により主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男)

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